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執筆者の写真keisyu

申酉のみなさん&母の友人


8月きつかったああああああ!!

歴史に残るいろいろな事があったような すでに走馬灯

そして9月に入りますよ~ 9月は心がちくちく月間になりそうですね・・


申酉のみなさんがんばりましょおおお 



これがまた、じっとしていたくても忙しい。。動くからまたそこで

心ちくちくがある。。どうなってんだい!

という事で9月に整理したい事もありましたが10月にしますわ!


今やったところでどうせ、うまく行かないとわかってますから

満を持して10月に動き出す事にします。


母が亡くなり同窓会のハガキがきたので逝去した旨と

私の携帯番号を書いて返信しましたら母のお友達から電話がありました。

懐かしい秋田弁^^

私も小学3年生までは住んでいましたので本当にほっとします


母とは小学4年生からお友達でいろいろな事をお話ししました

前にご連絡いただいた方とも幼馴染で、またも

「あなたと話すと涙が出なくて笑えちゃうわ^^良かった」と・・。


母との思い出話で部活で天文部に二人で入って、ふと

「天文部だと夜こねばだめだな」という事ですぐやめたのよ~^^とか。

「私は外に出ないタイプだけどお母さんはいろいろな人と知り合いで

それで私も外に出るようになった気がするわ^^」とか。


確かに母は子供や家庭よりは外に出ていてこそでしたね。

誰もが言います 弱気を吐く人ではなかったと。


母の介護について、

「私はとても雑で、命の期限が決まっていた母に

もっとできた事もあったかもしれません。後悔は残ったままです」というと

「幸せだったのよ 私も親を看取ったけど後悔ばかりよ~^^」と。


母の幼馴染の方の数名は天国へ行っているのでやっと再開して本当に

楽しんでいる姿が思いうかびます


母がどうやら在宅介護になったときにその方に電話して留守電に

名前だけ呼んで切っていたようで、誰かな誰かなと思っていたと同時に

(一言だけで母だとはわからなかったようです)

「ずっとぼおおおっとなぜかいる気がしてね。。あなたのハガキをみてもう

亡くなった事をお母さんは知らせたかったのね。なんだかもやもやしてたのが

すっきりしたわ^^」と。感が強い方で母がそばにいるのをずっと感じて

いたそうです。


「今日はお母さんを想って一杯やるわ」と。

「それは何よりも母が喜びます^^」と伝え、母も喜んでその場で一杯やって

いることでしょう。

お友達からお電話を頂くたびに「母は幸せだったんでしょうか・・・」と

問うてしまいます。でも母にはお友達が話すように楽しいエピソードもあり、

そこに母は確かに存在していた。。


秋田から警視庁に入った時の事を「確かにそこから変わってしまったわね」と。

母が思いを馳せて東京に出てきてそこから波瀾万丈になってしまったのかもしれない


それでも母は強く生きた

「最期を知れて本当によかった」と言ってくださる親友がいる。

最後まで遠くからきてくださるお友達がいて、そして母に話しかけてくれていた。

「天変地異が起こる!」と思ったけど 父と手を握り合い 「これはすごい事だ!」

と思う事もあった。


母はそんな中で命を終えていった。

本当にろうそくの灯がふっと消えるような最後でした。

皆がいう「美しい人だった」という姿であちらで楽しんでいるだろうなあ~


モテキ!がまた来ているに違いない



私は母のように美人でもなくおしゃれでも派手でもない

ただ、今は、今までは健康であって、なんでもできそうな気持もある。

そして人に恵まれている。力はないけれど人に恵まれている。

これはそのような星の元に産んでくれた母に感謝しかない。

宿命の勉強をしていて自分の星を見て母に感謝している^^

そのように生きなさいと母に言われているかのように最近は感じてます


難しい使命を与えられているひともいる。

でもそれでも意味がある。

私は無我無欲という使命かな、いや、生き方か。

それらを消化して、昇華した時に灯が消せたなら良いかな^^


昨日も開運館でのご縁に感謝いたします

本当に今は「なんだか今までの自分ではないみたいです」と

訪れる方も多いですが、ウェイトを掛けるべき場は必ずあり

そういう時だからこそ、そこにウェイトを置くべきだとお伝えします。

必ずヒントは得られます。だって自分の人生ですからそこかしこに

課題、いまやるべきこと、負がかかる場所があり全て自分です。

希望を見出せる場所があります。


そこをお伝えしていければと思っています^^









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