我が家は私が12歳の時に姉が幼少期を過ごした秋田に埼玉から
帰りそこから私は母と住んでいるので(姉も高校を卒業して
母との3人生活になりましたが)通算で父と住んだというのは
2年程度、、、、
父母が別れてから20数年お互いで父と母が会うということは
皆無に近い
高校で私に問題がありそこで一度会ったが
父と母が話すということもそれ以外では無かったのではないかな~と思う
母が父と娘たちが会う事を嫌がっていたのは確かでそれほどに
母は父を憎んでいたということになる(詳細は割愛)
それが昨年から連絡を取るようになったという事は我が家ではミラクル
姉も「すごおおおおお」と驚くほどで
それは良くも悪くも私の家庭の問題で父母が会う事になったのだけれど。
お互いで20数年ぶりに会うので姉は「すごい事だ!」と
4人で会ったときに記念撮影をしたほど。。。陽気な姉である
お互いに会ったときには父はガンをわずらいやせ細っている
(元気ではあるけど)母も祖母の介護でやせほそり
お互いに
ミイラとオランウータンみたいと笑っていた
(それもどうなんだか)
私が心配をかけてしまっているのだなあと反省しつつも
母がその日に送ってきてくれたメールでは
「お父さんを許すことは決してできないけれど
お互い残り少ない命であっても長生きしてほしいものです」と
あれほど安らかに死ぬということは許さない!と豪語していた母が!!
そんなこともあり、昨日ふと思い出した言葉があった。。
昔電話で鑑定してくれる方に
「あなたは あなたの家族にとって役割があって生まれてきた」と
当時は本当にわからなかったけれど昨日ふと思い出した一言でした
もしかして父母に心配をかけている昨今、私の為に
二人は連絡をとり会うようになった。
そして父は月1回集まろう!なんて言っている。。。
私が家族の中で意味が会って生まれて来たとするならば
このようにぜったい笑い合うことなんてあるはずのない家族であって
一家離散の状態が丁度いいのだと言い聞かせてきたけれど・・・・
もしかしてこうやってお互いがもう長くないと感じ
笑い合うことができるようになれたのも私の一件が
なければなかった・・・。
そう思えていいなら、これはこれでこのヘンテコな家族に意味があって
生まれてきたのかな~と思いました
「あの美男子はどこにいっちゃったの?オランウータンみたい(^^)」なんて
母が笑うなんて夢にも思っていなかったなあ・・・
私には温かい家庭という感覚がないけれど、でもきっとこのふぞろいの
パズルみたいな家族から1ピース欠けるごとに過去を振り返っていくのだろうなと
考えさせられる昨日でした。
そろったパズルから誰かが欠けていったら悲しめるのが家族だと思っていたけれど
もともとばらばらのパズルだって1ピース欠けたらなんかくっつきあう事がなくとも
そこにあった・・・そこにいた‥という事で悲しくなるのだろうなと
不思議な感覚に襲われた一日でした
言葉ってとても責任があるなあと思いました
改めて今のさせていただいているお仕事にも言葉の意味を
きちんと考えて行かなければと思いました(^^)
でもこんな自分でも意味が合って生まれてきたということならば
それはとっても楽しいことですね
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