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  • 執筆者の写真keisyu

動物的勘

私は動物的な勘で生きてきたように思う。

ここ数年の日本においてもそう


子供たちをこれから守れるのかどうかと不安になる。

反ワクではないけれど

当初 恐怖 これは何の感覚だ?

果たして選択は合ってるのか・・・

もし学校で集団接種となれば学校をやめさせようと

思っていた


打たないならレストランさえ入れないなら

家で楽しく食べればいいと思っていた

当時はそのような選択をしたものへの

いじめのようにも思えたなあ・・


同調圧力のような世界観が非常に怖かった

根拠はないが動物的な何か恐怖を感じていた



見えない大きな壁が来るように

大きな船に乗る人達の起こす波を私が先導する子船で

渡り切れるのか・・・と。


ただ救いは同じような方が周囲にいた事

「間違ってない」「これでいいのだ」と思わせてくれたこと


今の後悔・・・友達を失ってももっと強く出れたら良かった

私の恩師はそれをずっと繰り返していた

「悲しいけど 友達失ったわよ」と。

でも、精力的にデモに参加して

「日本は変われるかもしれない」とおっしゃっていた


「すごいパワーよ^^」と。

次は参加しよう。


今も実は当時のような恐怖を感じる

災害ではなく人災のような恐怖


私のような力なきものは一人では 何もできない

ただこれからの子供たちの世代のために出来る事はしよう


過去にご縁をいただいた方の言葉が最近蘇る

「大きな龍が動き出した 

 私たちのような力を持つものでももう止めることはできない」と。


抗うしかないけれど何もしないのは嫌だ・・


子供たちが最近困ってる人へと 献血をしている

疑問なのは

「打ったかどうかの項目があった」と。

なぜなのか・・・。


最近は自分のワードとして「命ある限り」というのが心に浮かぶ


並行して、感じる言葉を伝える機会が多くなったように思う


「命ある限り、使命ならば力無き私の言葉を必要とする人がいるならば

伝えていこう」と思えた。


それを確実なものとするためにどうしても命占はすべて力にしたい。

まだまだ足りない飽くなき学び


ここからスルーで大丈夫ですけれども依然瞑想したときに・・

大きなオレンジの球体があり、、あ、ここが私の戻るべきところか・・と

思い、やっと戻れるのかなと思ったら

「今はその時ではない」といわれたような感じがした


要は全くなにも成しえていないなら戻るなという事なのだろう・・・


まだまだ小坊主 そのような感じなのだろう


とはいっても日は続く 

パートにいき、育児・家事・ご依頼の方への鑑定・タロット講座

などなど日は巡る

時間が目まぐるしく過ぎる

一日一日を無駄にしている暇は自分にないとわかっていながら

だらける自分もいますが💦


自分に与えられた限られた時間で出来る事があればさせていただく


ただ、、この今の時代、この日本で生きる事に虚無がある。

でもそれでもがんばれるのは子供たち世代をこれ以上

悪くしてはいけないと思う使命感と義務がある


子供たちがいなければ完全に私はだらけただらしない女を

全うして生きているだろう。。


でも、目の前にこれからもここで生きる子供をみていると

この子たちを選択の自由から奪うような世の中にしてはいけないと

燃えるものがあり、また選択肢を自分で選べるように強くさせないと

いけないと思う


大変な時代に生まれ、産み落としてしまったとおもうけれど

それならそれで最後までもがいて生きてもいいのかもしれない


混沌したこの世界で希望を見いだせないが、子供が希望。

ならその希望を輝かせるものにしたい

国を動かす人たち

未来を夢みれる国にしてくれよ・・・


これ以上どうしたいのか・・・問いたい


ただ報道されない中で動き出した人たちがいるのも事実

ならば動いてみよう^^と思う


そうはいっても・・・普段の私↑


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