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執筆者の写真keisyu

執着

今日のテーマは執着という事についてです

ご相談者様、生徒さん、みなさんいろいろな環境、いろいろな人生を

歩まれている中でこの執着がある方はどうしても足かせのように

なってしまっています



私もそうだったと思います


普段誰かに見せる笑顔、仕事の自分、育児をする自分、その場その場で

見せる顔は違います


ただいざ鑑定やタロットに向き合ってその点の指摘をしていくと

そこにこの「執着」が根深くある事があります。



サレラリという言葉があるようですがそういった事を抱える方も

多いですよね。私もそうでしたのでわかります。

自分の命を削ってでも家と子供を守りたいと必死だったときの

矢先でしたので「え?」「うそ・・・」「どういうこと?!」が

ぐるぐるぐるとまわり、本当に崩れ落ちました。


今思えばそれは大運天中殺の前の年。一度落ちてから入るのが良いとも

言われていますから今思えばですよ!当時はそんな知りもしませんから!!

今となれば・・

それでよかったのかもと思えます


また妻が育児・家事に必死な時にそれが起こればやはり

一生の恨みともなりますよね。それでも離婚しないとなれば

執着というもの、幸せになろうなんて許さないという根強いものが

根深くアングラな世界にはこびります


これに関しては時間が解決という簡単な言葉ではどうにもならないですね


ただ今だから言えるのは「今が楽しい」「今が幸せ」です。

私は離婚したのでその割り切りはあります。

再構築という事ではなく離婚をしないという選択の場合はやはり

何もなかったことにはできないわけです


被害者・加害者が同じ家にいるかのような感覚ですよね💦

そこには加害者とされる方の努力しか被害者を救う事ができず

「もう過去のことだろ」という一言で振り出しに戻る可能性もあります



誠意と忍耐と努力をお互いにしていく他はないと思います


私はその道を選べませんでした

このままでは自分が壊れると思う・私も悪かったのだと思う・

でも必死だったから・・とまた自分を責める

これが負のループ



いつか子供たちの成長をゆっくりお茶を飲みながら年を重ねた顔で

笑顔で語り合えたら・・・という先を見すぎていたのかもしれません


今はすっかりと変わり

「軽キャン買って鑑定しながら日本をまわる」という全く違う

ものに。見事にかわりました


鑑定の仕事+

他のパートこれ体力的に楽ではないものの

「子どもの為」となるとやる気しかでない!



執着はどこかに行きましたね いろいろな変換が数年かけてありました


執着というものをぬぐいさると心のキャパのすがすがしい事

「趣味つくろう!」とか「心の自由!」とか

「子供が社会人になるまでは歯ぐきから血が出てもやったるぜええ」と。


子供たちも

「ママ明るくなったよ^^」とか「いいから寝なよ」とか

買い物すれば下まできてくれて「電話しなっていったんじゃん」とか

あらああああああああああああああああ お優しい子になって

誰の子かしゅら💛という感じです


精神的苦労も多大だったと思います。

でも子供たちも日々おもしろおかしくやってますね^^


シングルだからこそ夢をあきらめさせたくないという意志がつよくあります。


もっとがんばらねば!


成人式ではぐしゃぐしゃな顔で泣く!!

帰りにデニーズのミニチョコパフェ食べる!!

最高のご褒美!!


でも誰かに話す事で執着だと気づく方も多いです

それくらいに自分に上手に巣を作ってしまうんですね💦





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