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  • 執筆者の写真keisyu

いやはやいやはや

年内ではないかと言われた父は年を越しました

何が大変…後始末!!! 


全て捨てていいと 運ばれて意識があったときは言っていた。

ならば潔く!と父の団地に乗り込んだものの・・・一人にしては

非常に多い家具・家電・服・布団・紙類(封書などなど)


昨年の母の整理のトラウマ・・「ああああああああああああああ!

もおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」という意識に変わる。。


そして父が倒れる数日前に喧嘩したという自治会長!!

頑固なおじいさん・・・この方も融通が利かず 「ああああ!

もおおおおおおおおおおお!」の連続


「あんたんとこはいいよ!特別だよ!(ごみ収集所に関して)」

「14時までは私の責任をもってあけておくからだしな!」と

「助かりますうう」


そして必死でくくって束ねて13時40分  閉まってる・・・

「ああああああああああああ!くそ!」という言葉のオンパレード


姉も後日☎してもらった(ちょっとこのじいさんを知ってほしかった)

「特別にね その日はいいよ!」といった直後に

「やっぱり開けないことにしたよ」「え?」と姉

「やっぱりやめた」と 姉、私より言葉悪いです。

「なんなんだよ!あの○○じじい!!」

父もここの団地の自治会長をやっていて

「本当にいろいろやってくださって」と会う方会う方感謝を述べてくれました

訪ねてきて泣いてくださる方も「本当に助かってました」と。


その後この自治会長に代わり 声でかい、言ってる事二転三転、

「私がね5代目なんですよ!!」と大声。。

段々声が大きくなっていくのに気づかない模様


父が「もう自治会長やめろ!」という喧嘩したというのが頷ける


父だったらこんなときはきっといろいろな事情を汲んでくれたはず!!


そんなこんなでうまくいかない中、仕事もあるし、姉も遠方からだし、

病院の連絡を待つ中で精神的な疲労も蓄積。


ただ、粛々と準備は進めていて、遺影も良いものができたし、

母が生前父に送ったポロシャツとスーツを看護師さんに渡せた

これを着て父は旅立つ

(靴下忘れた・・・・)

母に「そんな恰好で来たの!」と怒られないようにしないと


何が大変か・・・父のギャンブル関連から届く封書への停止☎。

多いよ。。。お父さん、、多いよ。。

これやっとかないと、すぐポストが埋まる!

はあ・・・


父と母の身仕舞で本当に思った!不要なものは不要なのだと。

残してはいけないと、身をもって知った。

母の長年の手帳もいらないと思った。

父の意味不明な通販好き、、これもいらないと思った

(マッサージチェアはゲット)

あと大量の同じ服(もはや病的)


先日看護師さんから血圧低下で一度呼ばれた

父は拝むように手を合わせていたけれど

(姉と私の呼びかけには無反応で手を合わせていた)


父のために人生が変わってしまった人が多くいる(と聞いている)

その人達が簡単に死なせてくれないのだろう・・と思った。

今は苦悶を与えられている、謝っているのだろうか、許してもらえないのだろうか

楽にしてもらえないのだろうか


病院から☎があれば恐らくはやっと解き放たれた時なのだろう

父は「お父さんの身内はみなぽっくり死ぬ ぽっくり病だ」と

笑っていたが本人はそうはいかないようだ


やはり簡単には楽にはしてもらえないのだろうな・・

それほどの事をしてきたのだろうと思う


母が「お金は人を変えるのよ」という言葉がここにある


姉と粛々と準備をしながらあとは父が苦悶から解放されるのを

待つだけとなっている


それまではお互いにそれぞれを通常業務でこなしている


父の遺影も、良く私に言っていた言葉

「疲れないようにしろ、一人でもちゃんと食べなさい。

楽しく生きろ」と言っているような顔で綺麗にスナップから

ぬきとって 加工してもらえた。


同じお仏壇に母と父を並べる事は母の意志に背くので

父はその隣に小さなお仏壇を設置予定。


母のお仏壇の中に父の写真を置こうかなとみていたら

なんとなく母に、「やめて」といわれているような気がしてやめた


ですよね、、


今は「ミニ仏壇」というものがあってとてもコンパクト

このふたつの お仏壇は私の代で終わらせますが私がいるうちは

拝んていくという事で、子供には継がせません。


父はいつ楽になれるのだろうかという事よりも一日一日

永らえている中で迷惑をかけた人に手を自分であわせているのだろう・・。


それも許してもらえるのかはわからないけど・・・

あの世に行く前に父には必要な事だと思う


生命が尽き果てるまでは許しを請う 父に残された義務。



それを待ちその時が来たら姉と最後まで責任をもってやるから

安心して最後まで許しを請うて逝ってください。


父の子に生まれいろいろな人生を経験させてもらった

良くも悪くも激しい人生だったように思う

それでも「楽しく生きろ!」は父の残した言葉だと思う


お父さん!残りわずかな命 しっかり償って詫びて、許しを請うて

逝ってください


あとは任せて!綺麗なお花を供えるからね 蓮の上にいる母にもしっかりと

詫びてね!あちらでも楽しく生きてね!

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