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  • 執筆者の写真keisyu

終活のすすめ24 天国へ


一昨日の夜から朝にかけて 看護師さんが言うように

あごで息をし始める が 始まり、父と姉にも連絡。

(死が近いという事の特徴として)


看護師さんにも状態を見にきていただき

呼びかけるなどしてもあまり反応が無いという事で

看護師さんから訪問診療の先生に連絡 その後先生たちが来て


状態を確認 あとは静かに見守りましょう という事で

水などの水分を気にしてしまいましたがそれも看護師さんが

首を横に振ったので もう何もいらないのだと 理解しました

(この時点で今日か明日かなという見立てでした)


父は一度来て声を掛けて帰宅 姉も到着。

私は自分のことをしていると

姉が大きな声で「おかあさあん!」と呼んでいて「静かにしてあげなよ」

なんて笑っていたら・・・呼吸が止まったようでした


姉は大きな声で呼ぶと一度呼吸が戻るのでそれを繰り返していたようです。

「もおお!お姉さんうるさいよ(笑)看護師さん達にもあとは

静かに見守るって言われたのにうるさいよ(笑)」なんて言ってたんです。

母は姉の大きなソプラノの声(音楽の先生をしていて声楽専攻の姉)を

聞きながら逝ったという事になります いいのかわるいのか・・・


そこから再び看護師さんが来て確認後、エンジェルケアという事で

処置をしていただき

母の好きなスーツ(派手派手)、そしてお化粧など施しました

(体をふいていただいて、洗髪もしてくださり 本当に本当にありがたい)

首元にはエルメスのスカーフです!!(さすが!)


お化粧もみんなでわいわい話しながら「もっと濃いよ!アイシャドウ(笑)」

なんていうと姉が「もおお これでいいんだよ(笑)」と。


先生たちが来て、瞳孔や心音の確認をして14時逝去となりました


看護師さん、訪問診療の先生たちが 「これで私たちは終了です」と

言って終わっていくのですが、それが私は寂しくもありましたね・・・。


「何かやる事はありませんか?」「無理しないでくださいね!」

「お仕事残しておいてください(^^)」といつも声をかけてくださり、

心強い訪問看護さん達、、、


また常にお薬などの処方のタイミング、もちろん状態の確認をしてくださった

先生達、「娘さん(こう呼ばれてました)、大丈夫?」と気遣ってくださった

訪問診療の看護師さん達


ケアマネさんも花束を持って来て下さり

(祖母からお世話になっているので6年位でしょうか)

花束を受け取った時に、なんだか「卒業式みたい(^^)」って言ったら

姉が「ほんと!(爆笑)お前の介護卒業式だね」と

母に「頑張りましたね」と皆さん声をかけていただき 「自宅での看取りは大変で

なかなか少ないなか、本当にお疲れ様でした」と私にも労いの言葉を

いただきました


このかかわりが本当に支えになっていたんだと実感。。

事業所ごとに終わっていくのでそれが寂しかったですね。。



私から見れば痩せこけた母ですが「穏やかですね」と男性看護師さんが

おっしゃってくださったので「ああ・・穏やかなんだなあ」と。。。


ここまであっという間だったのか、、まだこれからお葬式や納骨が

りますのでそれが終わってから感じる事もあるかもしれません


ただ「明るい介護でしたねえ いつもほんと(^^)」と

皆さんがおっしゃってくれたのは、母が決して長くはない(終わりが

ある介護)ということ、そして苦しまずに逝けると言われていたこと。

こういった終わりがあるという事の前提があったからだと思います


これが何年になるかわからないという事ですと在宅は無理ではないかと

思います。

母と伴走できたのはそこにゴールがあるから。。

でも ああ・・面倒だなあって思ったことも多かったなあ

(あれこれ持ってきて、食べたい!が多くて💦)とか

後半は母が食べれなくなってきたのをいいことに手抜きしたなあ💦とか

後悔は多々ありつつも 役目が終わりました


今日からお式までは安置所へと移動します。

母がいなくなったベッド。。。

使わなくなった酸素などお借りしていたものが一斉に

引き上げられていきます。。


痛みや呼吸苦からも解放されてそれだけでもよかったと思えます。


姉も昨日は泊まり 「妹が明るいのでいつ電話しても笑ってるんで

本当に明るい介護でした」と訪問された方に言っていたので

姉としても明るく見送れたのは良かったです。


余命数日と言われて救急搬送されてからちょうど4カ月!

すごいなあ・・お母さんすごいぞ!

プライドの高い母がおむつとなり、自分が必死でみてきた祖母が

要介護2に対して自分は5 精神的に辛かった事実だと思います


やはり体の自由が効かない、全て人の手を借りなければいけない

身になり、笑みも消えました。食事、排便、入浴、呼吸をする事すら

命がけでした。命をつなぐ薬を飲むことも命がけ。。


弱音を吐かず 人に当たらず 素晴らしい最期の時を過ごしたように

思います

母からの返事は聞けないど・・・

「お母さん娘の看取りは・・どうでしたか(^^)?」


「扱い方が雑だったわね!」とか言われそうなので聞かないで

置く事にします!


あとはお葬式と納骨ですね!私は秋田からくるお坊さんをお墓まで

送迎しますのでお坊さんを最期送り届けての帰り道がすべての

役目の終了かな。。。その時に母に

「やっと全部終わったよ!」って言えそうです(^^)


お母さん77年間 本当に激動の人生でよくぞ育ててくれました!


算命学で家の中で誰が一番自分から見て強いをみると、私は母なんですよね

昨日ふとそれを思い出して・・やはり同じ年齢でこの家を買った母を

超えることはできないなあと・・・そう思いました


最期までしっかりとやるからね!あとはお任せください!


終活のすすめシリーズも節目を迎えました(^^)

母という盾が私から取り外されましたのでここからは私が

子供たちの盾となり進みます 心もとないですが走るのみ!



では今日も素敵な一日となりますように(わ!もう夕方だ!)






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