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  • 執筆者の写真keisyu

終活のすすめ8がんばれおっかさん

ここ数日の母の言動がおかしい



転院先へは車で行くからバッテリーが大丈夫か見てほしい

(自分で運転してその母の車の後ろを私が追走すると思っている)

違うよ、、実際は介護タクシーの後ろを私が追走(ここは合ってる)


あと私が犬と母の自宅のお風呂に入って笑ってるから辞めさせるようにと

姉に連絡が行ったらしい

生き物全般大嫌いな母からしたら 自分の家のお風呂に

私と犬が入っていてなおかつこっちをみて笑っている・・・おぞましい事だろう


先生が言ってた…せん妄 でしょうと。。


元旦の昨日、転院も迫っているので看護師さんに電話してみた

「元旦ですからもし今日でない方が良ければ・・・」と先に伝えて

でもちょっと言動がおかしくなってましてと話したら

「いつから言動がおかしくなってます?」と親身になってくださり、、、


「あの気持ち悪いお話かもしれませんが生霊が元気で母の

体と心が乖離してきているようです・・・」と話したところ

院内でも母が

「だれかこっちみてる」と外をぼおっと見ているので(10階!!)看護師さんが

「誰もいませんよ」というと「そう」といったらしい。


こちらにくる母からの言動も伝えたところ容態を教えていただけた

・車いすで散歩しましょうかというのも断固拒否

・時間通りに物事を進めないといやがるらしく(それが母です)

 ご飯も置いておいて と言って後から見にいくと手をつけていない

・薬も同様

・動かされるをの嫌がる  

・食べむらが激しい

などなどメモをしながらでしたが。。

今度主治医の先生と話せますか?と聞いたら「その方がいいですね」と。

ただ、父と私は主治医の先生から母に誰かが自宅いないと帰れませんよ

と言ってほしいという願い


母から「私が看るからね」と丁寧に説明したことに関して

「一人で住む、来ないで、落ち着かない」という応戦がきた。。


そうきたか・・・



本当に母の生霊は元気なんである。。そこにエネルギーを使っているのか。

母の生霊は家に行ってみたり、泊まってみたり・・

そんな感じできっと家の中を歩けているんだろう・・・


そうこうしているうちに深夜1時前に当直の先生から電話があり

「夜分にすみません お母様の言葉が出づらくなっていてMRIを撮ります」という

許可でした。

お願いします ご迷惑をおかけしますと伝え電話を待つことに


結果は脳梗塞などの疑いはなく今はまた落ち着いているようだと。。

またその先生とお話ができ、救急病院でどんどん運ばれてくるこのような

病院ではどうしてもそういった方が優先になると・・

(言葉を選んで話しているのがわかります・・・)

母の場合は

・ほとんどできることがない

・全く歩けていない

・つまり寝たきりになっている

・もし誤嚥などした場合はやはり危険となる

という事でした。。

つまり成すすべがないので転院せざるを得ないという事です


お母さんは恐らく魂は歩けているので、

「お母さんの靴持ってきて!」という事で病室に靴がある


ただそれを履くことはもうないだろうな・・

面会ができないために、、確かにコロナこのやろう!ではあるけど

仕方ない。。。

会えたら もっと食べて!おうちに帰るんでしょ!といえるけど

もはやラインも疲れて見れないのだろう。


転院先の病院は、娘だからわかる

母がそこで生きる希望を見出すには難しい。。。。

ならば自宅で最期を迎えるのが母らしいか。。。

運ばれた時に何もしなければ数時間といわれた母が

20日程度生きている

気力と根性ではあるけど、ただ体は弱っている

先生も懸念していたのは尿カテーテルもそうだけどやはり菌の混入。

そういった事も命取りになる。。


母は家が大好きであるけど、祖母との老々介護で母の南向きの部屋は

祖母へ。自分は北側の部屋へとなった。

想えばそれもつらかっただろうな。。でも祖母を手放さなかった。


祖母はチラシで箱を作ったりして元気だと叔母からメールが来た。

喜ばしいけれど、でもいろいろな思いが交錯する

そうかおばあちゃんは元気か。。一方母は・・・

幸せだと思ったことはあっただろうか・・

なんて思ってしまう。


一進一退の日々。

母を看取ると思ってからの行動は自分にしては早かった

パートを辞めていろいろな手続きに奔走して、ただ主体の母がいるから

こその動き。。

母の家に子供二人と住みそして看取る、日向に介護ベッドを置いて

大根の煮つけでも作って 最期をゆったりと‥と思っていたけど

それはどうだろうか・・・難しくなってきたか・・・

もはや先生からの説得は酷になるかもしれない


歩けている、時々帰っていると思っているんだから・・。

そのままがいいのかな。

リハビリをしたがらない、これも恐らくは疲れているんだろう・・・


リハビリまでいかなくても 自宅で足をさすったりして

それで過ごせて行ければとおもっていたことは・・・夢になるかな。


ここまでになる数日前に、母を苦しめたであろう事があって

もっと強く私が抗議していればまた違っただろうか・・・

後悔はしても仕方ない。

父も何かあれば「お前が窓口で全部させてしまって済まない」というが

父も必死でやってくれている。


人が生を終えていくという事

たくさんの人の関わりがあると感じた

ありがたい事だ

看護師さんも「今日の豆腐ハンバーグお口まで運んだんですけどね」と

忙しい中感謝です


歩けることはないでしょう・・・という先生の言葉

それがすべて。

働きづめの人生だったなあ。。

母らしい言葉として思い出すのは


小さいころ何かで失敗して落ち込む私は母に聞いた

「お母さんも何かで失敗して落ち込んだことある?」って

あるわよ(^^)たくさん って言葉を期待したが見事に

「ないわよ 失敗しないから」だった・・・そして落ち込んだ私

母らしい言葉だと今思う

寄り添うよりも自分を崩さない ある意味ありがとう


気丈なんだろう それで今持ってるだけか・・・

ただ、いや、ほんとコロナでこれは大変だ・・・

会えない、容態を聞けない、状態がわからない。

病院名の着信があればある程度覚悟をもって電話に出ないといけない

ラインなどやりとりできれば楽しさもあるけどうちのように

全くそれがままならないとやはり待つしかない


母のベッドを置こうと思っている部屋は母が横を向けば

兄の仏壇がありそれも良いと思っていた・・

もうちょい!もうちょい!がんばってみたらどうか?!

苦しいか・・そうだよね。。肺が固まってんだもんね


想像絶する辛さだろう。。。

母の友人が言う 気丈な人だと。。

その通りだ。

ま!息がある限り、帰る場所の準備はしとこう!

息がある限りは生きているという事だ




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