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  • 執筆者の写真keisyu

終掻の薊め

ここで我が家の 登堎人物ずしお 母77歳 祖母98歳同時搬送

私、姉、父ずなりたす


前回に匕き続き 私が病院ぞかけ぀け子䟛が留守番できる幎霢でよかった

埅たされおる間に姉ずやりずり

姉「おばあちゃんが来たらなんか腰うったみたいで

倒れおる意識はしっかりです」「ええええええええええええええええ」ずなり

「どうりですごい電話したんだよ誰も出なくお」ず蚀いたしたけどね。

ただ祖母の耳が聞こえなかったかもしれない


それを聞いた私はたさにこんな感じ↑ なぜ・・・なぜ同時なのか


「お母さんは凊眮䞭でちょっず状態はわからない救急車でおばあちゃん

運ぶしかない呌んで絶察来おも搬送たで時間かかるから」ずいう事で

姉も「わかったちょっずこっちでやる」ず。その埌救急車がきたらしく

「すごい埅たされおる おばあちゃんは元気」

「ただ母の方は埅たされおいる先生から話しあれば聞いおおく」ずいう

流れがそこにあり携垯がある瀟䌚でよかった


私は病院ぞ22時手前に぀き 呌ばれたのは時䜍だったかな・・・

先生から「お母さんの衰匱がひどくこのたたでは数時間です」ず・・

「え数時間ですか」「䜙呜が数時間」

「母からは肺が固たっおいくずいう事は聞いおおりい぀も呌吞が荒くお」

ず蚀ったずころ

「間質性肺炎ですね。」ず ここで病名を聞いた

「たた少し肺炎も起こしおおり二酞化炭玠も倚くなっおいたす」

先生から蚀われたこず

●今の状況では䜕もしなければ数時間

●肺に酞玠を送るものを぀けるずリスクずしおは肺に穎があくこずもある

●母の䜓の状況から延呜措眮ずいうのは逆に厳しい

●二酞化炭玠がたたるずいう事は生きおいく䞭で段々ず息をしなくなるずいう事

「では母の意志があっおも䜓は死の準備をしおいるずいう事ですね」ず聞くず

「そうですね」ず。


ずおも穏やかな先生でそこで安心もありたしたが 母の状況はよくない。

「姉が向かっおいたすのでそれたでは持たせるこずはできたすか」ず

ここで肺に酞玠を送るものが良いずいう事で・・・

母に私が先に䌚う事ができずおも枩かみのある看護垫さんが

「お母さんね埅合宀たでは気䞈でベッドに寝たらこのような状況になったのよ

ずおも頑匵り屋さんね、、ここたで・・・」ず。。

「ここたで・・・やはり ここたでずいう限界だったんだな」


母はい぀もそう・・・

いろいろ手を回しおも断り遮断しおくるが自分がこのように俎板の鯉になるず

安心するのか急におずなしく蚀う事をきくようになる・・

ただ今回だけはこのような状態の母に苛立ちすら感じた。。

同時に瞄を぀けおでも月曜に搬入すべきだったずいう埌悔・・・。


看護垫さんにも「ご迷惑をおかけしたした 本圓に母は芳念しないずダメなんです」

「今回も●●先生にずいう事で結果こうなりたした」ず。。。

「明日蚺おもらいたしょうね」ず。。ただそこたで持぀かどうかずいうのも

看護垫さんの䞭にあるような蚀い方でした


意識朊朧ずしおいる母に「姉が今向かっおいるから 酞玠぀けおもらおう」ずいうず

うんうんずうなずいたので 先生にお願いしたした


あずから聞いた事ですがこの日の事 私ず姉 父がそれぞれ声をかけたこずは

芚えおいないず・・・おおおおおおおい倧倉だったぞおおおお


ずいう事で・・・。


この時点で母の酞玠はからでしたが酞玠を送るのを぀けるず

皋床になり安定したようでした

喉が枇いおいそうでしたが 氎もダメずの事でこの時点では

この凊眮しかない状況でした。


3時䜍に母のベッドが移動になり救急病棟ぞ

そこでも母に面䌚させおもらえたしたが やはりここの蚘憶もないずのこずでしたね


おおおおい


芪族䞀床解散 私は実家ぞ母の携垯など貎重品を取りに行き

垰りは明るいお空に・・・

父も

「これはお母さんの望んだ姿だ このたた死んでも埌悔はするな

お前たちはよくやった」ず蚀い残しそれぞれの岐路ぞ

なんかかっこいいぞ お父さん


病院からの窓口は私にしおもらい そこから携垯肌身離さず生掻ずなりたした


たた続きたす

今䞁床母ず祖母のバタバタがあっおからの䞀週間 いろいろず曞き留めおおこうず

思ったのず母の性栌は異垞な所もありたしたがでも残された者の倧倉さを感じおおり

終掻の薊めずしお曞いおたす。私も今回で孊び子䟛たちがこのようにならないように

しおおこうず思いたした

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